トランスジェンダリズム

トランスジェンダリズムの定義は、正確にはあいまいで、あるとは言えません。

ただ、「トランスジェンダー」という言葉を広めた人たちが提唱した概念です(トランスジェンダリズム宣言より)。藁人形論法ではなく、実在する考え方です。

トランス女性は女性ですを提唱している側の思想です(トランス女性は女性です、を支持している人たちも知らない場合が多いようですが)。

(なので、現実に即してないという意見は不当)

使われ方としては、セルフID「私の性別は私が決める」「自分が主張した性別通りに扱われることを求めること」を求めているようなときに使われています。

しかし、定義がないため、Trans Right Activists、つまり学者や活動家(TRAと略されることが多い)に、その時その時で都合の良いように意味をずらされて使われる場合が多いので、注意しましょう。

当事者間で使われている言葉で、辞書的な意味とは相違があります。

トランスジェンダリズム宣言より

「性別の自己決定」、性別はいったい誰が決めるのかということです。これをトランスジェンダリズムとして考えたいんです。

でも、基本的にイズムとして、「性別は自己決定できる」と言えるのではないかと思っています。これをもっと体系的に緻密に言うこと、また逆にもっとわかりやすく、性別とかジェンダーアイデンティティにまったく疑問を持っていない、いわゆる「普通の人たち」にもわかるように出してゆく、なおかつ、私たちの片方の、マイノリティでいい、という「居直り」グループの持っている文化とか性質というのも受け入れられるような形で自己決定権を広めていく、というのがトランスジェンダリズムかな、なんて考えています。

トランスジェンダリズム宣言ー性別の自己決定権と多様な性の肯定 米沢泉美(編著)2003年 社会批評社

問題点としては、女性たちは、その体を根拠に、差別されてきました。しかし、女性、男性の体の違いやその歴史を無視して、男性が、女性として、女性の空間に侵入できてしまうことがまず挙げられます。すでに、英語圏では、更衣室やトイレに侵入し、女性を名乗る男性が事件やもめ事を起こしています。日本でも、トランスを名乗って、女湯や女性専用車両に乗り込む男性は存在しています。

また、女性が就労機会、教育機会からの排除、家庭内の役割分担などの差別されながらも、築き上げてきた女性の文化があります。しかし、生まれながらに男性だった人々は、そのように扱われず育ってきました。その育ち方の違いがありながら、女性「らしい」服装をすることで、「女性」になると考える仕方は、「女性のあるべき姿」を男性が想定しなければ成り立たないので、非常に女性蔑視的だと言えます。

また、女性という権力の弱いグループに対する文化の盗用とも言えます。

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